日本歴史改方

旧石器時代、人類が日本列島に到達

古代史というより考古学の世界の話。
日本の旧石器時代は土器時代以前の人類史の時代であり、打製石器の使用が特徴である。この時期は前期、中期、後期に区分される。

日本列島の形成

日本列島は約1500万年前に弧状列島の形になり始め、現在のプレート構造は約300万年前にほぼ完成した。更新世の氷期と間氷期が繰り返される中で地形の変化が起こり、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの下に太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込む運動によって、大陸から切り離されたと考えられている。従来の学説では氷期に日本列島はユーラシア大陸と陸続きになり、日本人の祖先は獲物を追って日本列島にやってきたとされていた。

しかし、近年の研究では氷期の最寒期でも津軽海峡や対馬海峡には海が残り、陸続きにはならなかったことが分かっている。舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島産の黒曜石が関東地方の後期旧石器時代の遺跡で発見されていることから、「日本人の祖先は舟に乗って日本列島にやってきた」という意見もある。

渡来ルート

人類の日本列島への渡来ルートについては、大きく分けて3つのルートが考えられている。

  1. 対馬ルート:朝鮮半島から対馬を経由して、北部九州へ至るルート
  2. 沖縄ルート:台湾から琉球列島を島伝いに北上するルート
  3. 北海道ルート:大陸の北側からサハリンを通って北海道へ南下するルート

現在のところ、どのルートが最初の渡来ルートだったのかは分かっていない。日本列島は酸性土壌が多いため、化石骨が残りにくく、人類の渡来ルートを特定する決定的な証拠は得られていない。しかし、琉球列島では旧石器時代の人骨化石がいくつか発見されており、その中には約3万7000年前の沖縄県那覇市の山下町第一洞穴遺跡から出土した日本最古の人骨も含まれている。

日本列島における旧石器時代の環境

更新世の日本列島は現在より寒冷な氷期にあり、年平均気温は現在より約4~6度低く、海面は約100m低下していた。

動植物

関東地方にはナウマンゾウやヤベオオツノジカなどの大型哺乳類が生息し、針葉樹と広葉樹が混ざり合う植生が広がっていた。最終氷期には、北海道はマンモス動物群を含む大陸と陸続きであったが、本州・四国・九州は陸続きにはならなかった。

人類

日本列島への人類の到来は約4万年前と考えられ、日本固有のハプログループD1a2a (Y染色体) の起源年代とほぼ一致している。日本列島では後期旧石器時代を遡る確実な人類化石は発見されていないが、最終氷期以前に渡来したと見られる哺乳動物の化石が各地から報告されている。このことから、そうした動物を追って大陸の旧人(原人段階の人類)が日本列島へ移動してきた可能性が考えられる。

旧石器時代の石器と道具

旧石器時代の人々は、石器、骨角器、木器などの道具を使用していた。日本の酸性土壌のため、骨や木などの有機質資料は分解されて残りにくく、旧石器時代の遺跡から発掘されるものは石器や礫が中心である。

石器は、原石をハンマーで敲いて剥片を剥がし、それを加工して製作された。石器には、狩猟具(台形様石器、ナイフ形石器、尖頭器、細石刃など)、加工具(掻器、削器、彫器、錐器、敲石、磨石、台石など)、伐採具(石斧など)がある。

後期旧石器時代に入ると、打製石器に加えて磨製石器が登場する。磨製石器は、打製石器よりも製作に時間がかかるが、耐久性や切れ味が向上し、より効率的な作業が可能になった。世界最古の磨製石器は、約2万5千年前の日本で出土しており、旧石器時代中期のものである。

旧石器時代の人々の生活

狩猟・採集

旧石器時代の人々は、狩猟と採集によって食料を得ていた。遺跡からは野牛、原牛、ナウマンゾウなどの大型哺乳類や、ニホンシカ、イノシシ、ノウサギなどの中・小哺乳動物の骨が発見されている。大型哺乳動物を解体する作業場であるキル・サイトも見つかっている。

狩猟には落とし穴が使用され、その遺構(土坑)が検出されている。静岡県三島市の初音ヶ原遺跡では、台地の尾根を横切るように並んだ深さ1.5~1.6メートルの60基の落とし穴が発見されている。

気候変動と生活様式の変化

約1万5千年前の縄文時代前期になると氷河期が終わり、地球全体が温暖化した。急激な温暖化により海水面が約130メートル上昇し、日本列島は大陸から徐々に切り離された。まず沖縄や朝鮮半島とつながっていた南西部が切り離され、続いて北海道も大陸から離れて、現在と同じ日本列島が形成された。

この温暖化により、日本列島の気候はツンドラ気候から温暖湿潤気候に変化し、動植物の生態系にも大きな影響を与え、大型哺乳類が絶滅していった。

公開日:2024.06.07