中国の歴史書で知る日本の弥生時代
弥生時代、日本は「倭」と呼ばれいた。「漢書」「後漢書」「三国志」の3つの中国の歴史書に記されている。これら史料は日本の古代史研究にとって重要な位置を占めている。
漢書 地理志
中国の前漢朝の歴史を記した正史の一つで、後漢の章帝の時に班固・班昭らによって編纂され全100巻から成る大著。紀元前1世紀ごろのものと考えられている。
内容詳細
「地理志」には、中国周辺地域の情報も含まれており、そこに「倭人」に関する記述が見られる。
朝鮮半島の向こうの海に「倭人」がいて、100余りの国に分かれて、中国に定期的に朝貢していると記されている。
後漢書 東夷伝
南宋の范曄(ハンヨウ)により、5世紀頃に編纂された。280年代に成立した「三国志」魏書東夷伝倭人条を基にした記述とされている。これにより、「後漢書」は「三国志」よりも後の時代に書かれたことになる。
内容詳細
建武中元二年(57年)に倭奴国が朝貢し、光武帝から金印を受け取った。この金印(漢委奴国王印)は福岡県の志賀島で発見されている。永初元年(107年)に倭国王帥升が160人を献上した記録があり、これが史料に出てくる初めての倭人の名前だ。「魏志倭人伝」では年代の指定がない倭国大乱について、桓帝・霊帝の間(147年〜189年)と大まかに記されている。
三国志 魏書東夷伝倭人条
一般的に魏志倭人伝として有名な歴史書。
西晋の陳寿により編纂され、魏書東夷伝倭人条もその一部として書かれたものになる。280年〜290年頃に書かれたとされている。
内容詳細
倭人は帯方郡の東南の大海中の島々に住んでおり、約100以上の国が存在していた。その中で、漢の時代から朝貢していた国が30ほどあった。邪馬台国の女王・卑弥呼が、神霊を崇拝し呪術を行う巫女として国を治めていた。卑弥呼の死後、男王が即位したが、国が分裂し内乱状態になった。卑弥呼の親類である壹与が女王となり、内乱を収めた。
公開日:2024.07.10