日本歴史改方

足利氏館(鑁阿寺)

足利氏館は鑁阿寺(ばんなじ)といい、真言宗大日派の本山です。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」として国の史跡に指定されている。本堂は国宝に指定されている。日本100名城の一つ。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。

概要

鑁阿寺は、鎌倉時代の建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山である。山号は金剛山で、本尊は大日如来を祀る。約4万平方メートルの敷地は元々足利氏の館であり、四方に門が設けられ、土塁と堀が巡らされている。これにより「史跡足利氏宅跡」として国の史跡に指定され、「日本の名城百選」にも選ばれている。

寺院としての始まりは、1196年に足利義兼が邸宅内に持仏堂を建てたことである。義兼の死後、息子の義氏が本堂を建立したが、1229年に落雷で焼失した。その後、足利貞氏が禅宗様式を取り入れて改修し、これが日本における禅宗様式への転換期の初期の例となった。鎌倉時代から室町時代にかけて整備され、足利氏の氏寺として庇護された。

境内には本堂のほか、鐘楼や一切経堂が国の重要文化財に指定され、東門、西門、楼門、多宝塔、御霊屋、太鼓橋が栃木県指定の建造物である。また、市指定の建造物や中世からの貴重な宝物類も多数残されている。地元では「大日様」として親しまれている。

年表

西暦出来事
12世紀半ば足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える
1196年足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立
1234年足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる
南北朝時代、鶴岡八幡宮の支配下となる
1908年鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定される
1922年「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される
1950年文化財保護法の制定により、本堂が重要文化財に指定される
1951年真言宗豊山派から大日派として独立
2006年「足利氏館」として日本100名城(15番)に選定される
2013年本堂が国宝に指定される

公開日:2024.05.28