日本歴史改方

秩父神社

秩父地方の総鎮守である。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。12月の例祭「秩父夜祭」で知られ、秩父夜祭(秩父祭の屋台行事と神楽)は「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)の1つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されている。
社殿は徳川家康による造営で、本殿・幣殿・拝殿が1つにまとめられた権現造の形式。

歴史

崇神天皇の時代、初代の知知夫国造である知知夫彦命が、祖神の八意思兼命を祀ったことに始まると伝える。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば、八意思金命の十世孫の知知夫彦命は崇神天皇(第10代天皇)の時代に初代知々夫国造に任命され、「大神を拝祠」したという。この「大神」は知知夫彦命の祖である八意思兼命をさすと考えられ、秩父神社ではこれをもって神社の創建としている。
さらに允恭天皇年間に知知夫彦命の九世子孫である知知夫狭手男が知知夫彦を合わせて祀ったといわれる。
地域名の「秩父」の名を冠するが、「知知夫」から「秩父」に変わった時期は明らかではない。なお、「秩父」の初見は708年。

略年表

西暦出来事
天慶年間平将門と平国香の戦いで、平良文が妙見菩薩の加護を得て将門を打ち破る。平良文は妙見菩薩を信仰し、秩父に妙見社を勧請。
平安時代後期平良文の子孫が秩父に土着し、秩父平氏を形成。
鎌倉時代社殿が落雷により焼失。再建時に妙見菩薩を合祀し、「妙見宮」として栄える。母巣山蔵福寺が別当寺として管理。
江戸時代絵図では境内に妙見社が中央にあり、天照大神宮・豊受大神宮・神宮司社(日御碕神社)が配される。神宮司社は秩父神社の衰微した姿とされる。
明治時代神仏分離により、妙見菩薩から天之御中主神に祭神を改め、社名を「秩父神社」に戻す。鳥居の扁額は「知知夫神社」。秩父事件で困民党軍が集結。
平成時代「全国一の宮会」により「知知夫国新一の宮」に認定。

公開日:2024.07.22