福徳神社
東京都中央区日本橋に鎮座する神社で、貞観年間(859〜876年)には既に存在していたとされる。主祭神は倉稲魂命で、五穀豊穣の神として崇敬されている。古くは「福徳稲荷」と呼ばれ、江戸時代には徳川家康も参詣したという由緒ある神社である。


福徳神社の御免富
幕府から公認された「御免富」と呼ばれる富くじ興行を行っていた。この御免富は、社殿の修復費用を捻出するために許可されたもの。御免富は幕府公認の大規模な富くじ興行として、他の非公認や小規模な富くじと比べて社会的影響力が大きく、江戸の庶民文化の一部を形成していた。
天保13年(1842年)の天保の改革により、御免富を含むすべての富くじが禁止される。これにより、福徳神社の御免富興行も終わりを迎えたと考えられている。
歴史
福徳神社は、長い歴史の中で幾度となく危機に直面しながらも、地域の人々の信仰と努力によって守り継がれてきた。江戸時代には富くじ興行で賑わい、現代でも商売繁盛の神として多くの参拝者を集めている。
年表
西暦 | 出来事 |
---|---|
貞観年間(859〜876年) | すでに現在地に鎮座していたとされる |
平安時代 | 武蔵野の村落「福徳村」の稲荷神社として祀られる |
鎌倉時代 | 源義家が深く崇敬 |
室町時代 | 太田道灌が狩猟の帰路にしばしば参詣 |
天正18年(1590年) | 徳川家康が初めて参詣 |
慶長19年(1614年) | 徳川秀忠が参詣し、「芽吹神社」と命名 |
元和5年(1619年) | 将軍により江戸城の弁財天が合祀され、社地が333坪と定められる |
江戸時代 | 幕府から富籤興行を許可され、賑わいを見せる |
天保の改革期(1830〜1843年) | 一時的に姿を消すが、のちに再興される |
明治時代以降 | 関東大震災や第二次世界大戦で被害を受けるも再建 |
昭和48年(1973年) | 現在の地に移転 |
平成26年(2014年)10月 | 日本橋再開発計画に伴い社殿を再興 |
公開日:2024.10.02