方違神社
大阪府堺市堺区にある神社。地元では「ほうちがいさん」と称されている。旧社格は郷社。祭神は方違幸大神(かたたがえさちおおかみ)。古くから方違え、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めている。

方違え
かたたがえ(かたちがえ)とは、陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。 方忌み(かたいみ)とも言う。 外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。


歴史
方違い神社がある土地は、「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」と『万葉集』にも歌われているように、摂津、河内、和泉の三国の境界にあったため、“三国山”や“三国丘”とも呼ばれている。この三国の境(ちなみに“堺”という地名はこれに由来する)に位置するため、どの国にも属さない中立な清らかな土地と考えられている。そのため、この土地で採れた土と菰の葉で作られた粽(ちまき)は、悪い方角を祓うと信じられてきた。この信仰により、昔から方位災難除けの神として信仰されてきた。
年表
西暦 | 出来事 |
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紀元前90年 | 崇神天皇8年12月29日 勅願により物部大母呂隅足尼が茅渟の石津原に須佐之男神を祀る。これが当社創建の起源。 |
4世紀 | 神功皇后が三韓征伐終了後、忍熊王の叛乱の際に当地で天神地祇を祀り、方災除けを祈願し、合戦に勝利。 応神天皇が須佐之男神、天神地祇、三筒男神(住吉大神)、神功皇后を祀り、方違大依羅神社(かたたがへおおよさみのかむつやしろ)と号し、方違宮と称する。 |
743年 | 行基が伏屋や井戸を設け、人馬往来の要衝として栄える。向泉寺(現・三国丘高校の地)が建立される。 |
平安時代 | 熊野街道に位置し、熊野詣の人々が参詣して旅の安全を祈願する。 |
1504年〜1521年 | 向泉寺が兵火で焼失し、後に現・堺区市之町東に再建される。 |
1868年 | 東京奠都の折に17日間の祈祷の命を蒙る。神仏分離によって神宮寺の向泉寺が廃寺となる。 |
1873年 | 郷社に列する。 |
1907年 | 水天宮社を合祀。 向井神社(牛頭天王社)とその境内社(愛宕神社、神明社、小祠四社)を合祀して方違天王神社と改称。 方違神社に復号する。 |
1908年 | 八幡社と武内社を合祀する。 |
1945年 | 堺大空襲(第6回大阪大空襲)で社殿が焼失。 |
1948年 | 社殿を再建。 |
2017年 | 社殿を建て替える。 |
公開日:2024.06.04