日本歴史改方

本能寺

1582年の「本能寺の変」で知られている寺院であるが、法華宗本門流の大本山である。山号はなし。本能寺に隣接するホテル本能寺や境内にある博物館の本能寺大寶殿宝物館などを経営している。

歴史・出来事

本能寺は、幾度の火災に見舞われ、その度焼失、再建を繰り返してきている。本能寺の変、天明の大火、禁門の変と歴史の大事件を見つめてきた。また、種子島に布教していたことから、どこよりも早く火薬・鉄砲を入手することができ、戦国大名たちの関係を深くしていた。

年表

西暦出来事
1415年本應寺が日隆によって創建される
1418年本應寺が月明によって破却され、日隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移る
1429年日隆が帰洛して大檀那・小袖屋宗句(山本宗句)の援助で千本極楽付近の内野に本應寺を再建
1433年日隆が如意王丸から寄進を受けて六角大宮の西、四条坊門の北に寺地を移し、「本能寺」と改号
1536年天文法華の乱により延暦寺の僧兵によって本能寺が焼き討ちされ、堂宇が焼失し、本能寺は顕本寺に避難
1545年日承上人が入寺し、本能寺8世となる 歴代貫主による布教活動により、本門流教団が成立する 種子島にも布教し、鉄砲・火薬の入手において戦国大名との関係が深まる
1582年織田信長が本能寺を宿所として滞在している際、明智光秀の軍勢に包囲され、本能寺の変が起こる 
本能寺は光秀の軍勢によって襲撃され、堂宇が焼失する
織田信孝が焼け跡を信長の墓所とするように命じ、住僧に戻るように指示する
1591年豊臣秀吉の命令により、現在の寺域(中京区下本能寺前町)へと移築される
1592年移築された寺域での伽藍の落成が行われる
1615年江戸幕府から朱印地40石を与えられる
1633年『本能寺末寺帳』によれば、末寺92を数える大寺院となる
1788年天明の大火で焼失する
1840年日恩上人によって再建される
1864年禁門の変により堂宇が再び焼失
1928年京都大学教授の天沼俊一が設計した本堂が完成し、七つの塔頭全ての本堂も再建される

探索の感想

本能寺といえば本能寺の変と知らない人はいない歴史的大事件。足を運べば京都の真ん中に位置する場所。そこは今と変わらず栄えていて人の行き来が多かったと想像できます。
写真で確認できるように、火災の多さから、能の字の「ヒ」の部分を「去」に見立てるようにして火を避けたと言われています。

公開日:2024.04.19