日本歴史改方

亥鼻城

平安時代の1126年に千葉常重によって築かれた平山城であり、鎌倉幕府の源頼朝の動きに大きな影響を与えました。千葉氏の拠点として約330年間存在し、戦国時代には亥鼻城として知られました。

出来事

千葉氏は、平安時代の千葉常胤の時代に名乗り、源頼朝の鎌倉幕府樹立に貢献。後に広常が謀反の疑いで頼朝に誅殺されると、常胤は房総平氏の惣領となり全盛期を迎える。
室町時代に入ると内紛が勃発し、「相馬文書」には、1335年一族の内紛の際に千葉胤貞方が「千葉城」「千葉楯」を攻撃したことが記されている。1455年千葉氏14代である千葉胤直が一族の千葉康胤(馬加康胤)と原胤房に亥鼻城が急襲され、千田庄へ追いやる。その後、千葉康胤の指揮下で敵を打ち破る。

年表

西暦出来事
1126年千葉常重により築城される
1335年鎌倉公方と古河公方の対立により関東に騒乱が巻き起こり、千葉氏も内紛が勃発する
1455年千葉胤直が一族の千葉康胤と原胤房に亥鼻城が急襲され、千田庄へ追いやられる
1457年康胤が宗家の名跡を継ぎ、子の千葉輔胤は本拠を本佐倉城に移す
1516年三上氏の攻撃を受ける
1861年千葉八景に「猪鼻山の望月」が選ばれる
1909年千葉城跡が公園として開放される
1959年亥鼻公園(歴史公園)として整備される
1967年千葉市立郷土博物館(模擬天守)といのはな亭(茶室及び庭園)が建造される

探索の感想

現在は土塁、堀切など現存する城跡は文化財に指定されている。城跡には千葉市郷土博物館になっており、千葉氏の歴史や源平合戦、古代の出土品など様々なものが見学できる。亥鼻公園は歴史公園となり整備されているので、桜の時期にはお花見の人で賑わう。

公開日:2024.04.10