日本歴史改方

鹿島神宮

茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

茨城県南東部に位置し、北浦と鹿島灘に挟まれた鹿島台地上に鎮座する鹿島神宮は、古くから東国随一の古社として知られる。祭神は日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(タケミカヅチ)であり、古代には朝廷や藤原氏から崇敬された。中世に入ると、武家の世に移ってもその神威は続き、武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道の信仰が篤い神社である。

歴史・出来事

鹿島神宮の由緒は、『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(1425年の目安)によれば、神武天皇元年に初めて宮柱が建てられたとされています。神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としている。

中臣氏は6世紀後半から7世紀初頭に、祭祀制度の再編を行い、その過程で東国に中臣部や卜部などの部民を定め、かつて一地方神であった鹿島社の祭祀を管理するようになったとされます。その後、大化の改新後には中臣氏が政治的に台頭し、鹿島社も朝廷との関係を深めたとされる。ただし、中臣氏が進出する以前の祭祀氏族については複数の説がある。

年表

西暦出来事
649年鹿島社に多くの神戸が設置され、香島郡(後の鹿島郡)が神郡として成立する
668年〜672年初めて使いが遣わされて鹿島社の造営が行われる
祭祀制度の再編を行い、東国に中臣部や卜部を定め、鹿島社の祭祀を掌握する
中臣氏は政治的に躍進し、鹿島社も朝廷との関係を深める
768年藤原氏の氏神として奈良御蓋山に春日社が創建される
鹿島社から武甕槌神が第一殿として勧請される
経津主命が香取から、天児屋根命が枚岡から、比売神が勧請される
777年藤原良継の病の際、鹿島社に対して正三位の神階が奉叙される
836年鹿島社の神職に対して正二位勲一等が叙せられる
839年鹿島社の神職に対して従一位勲一等が叙せられる
850年春日社の建御賀豆智命が正一位に達する
927年『延喜式』神名帳に常陸国鹿島郡に「鹿島神宮 名神大 月次新嘗」として記載され、式内社に列した
1192年頃源頼朝により常陸大掾氏一族の鹿島氏が惣大行事に任じられた
1595年検地で社領は405石と定められた
1602年1,500石が加増され2,000石に及んだ
1605年徳川家康によって本殿(現在は摂社奥宮の社殿)が造営された
1619年徳川秀忠によって現在の社殿一式が造営された
1634年徳川頼房によって楼門などが造営された
1871年近代社格制度において官幣大社に列せられる
1968年明治維新後百年の記念として、茨城県笠間市産の御影石を用いて大鳥居(二の鳥居)が建て替えられる
1986年境内が国の史跡に指定される
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震により大鳥居(二の鳥居)と御手洗池の鳥居が倒壊し、境内の石灯籠64基も崩れる
大規模な修復が行われ、大鳥居が再建される
2021年奥宮本殿の改修工事が着工し、完了
2021年本宮幣殿拝殿の改修工事が着工し、2023年11月に完了

探索の感想

敷地は広く奥之院を含めると東京ドーム15個分になる鹿島神宮です。
中臣氏から藤原氏と崇敬されたことから飛鳥時代にはかなりの権威を持ち常陸国を治めていたのだと推測できる。

公開日:2024.04.26