小網神社
東京都日本橋にある神社。関東大震災や第二次世界大戦の空襲を奇跡的に免れたことや、氏子の出征兵士全員が生還したという逸話が伝わっていることから「強運厄除の神さま」といわれている。
財運や金運にもご利益があり、社殿の左前にある「市杵島比賣神(萬福舟乗弁財天)の像」と「銭洗いの井」で、金銭を清めて財布に収めておくと財運を授かるとされており、「東京銭洗い弁天」としても親しまれている。

建築的な特徴
戦前の木造建築: 日本橋地区に残る唯一の戦前の木造神社。
神楽殿: 珍しい五角形の形状をしており、中央区の文化財に登録されている。
社殿の彫刻: 社殿には「昇り龍」と「降り龍」の彫刻があり、強運厄除のご利益があるとされている。
歴史
小網神社は1466年(文正元年)に創建された。創建の背景には、疫病退散にまつわる逸話があり、稲穂を持った老人が訪れ、その後の夢告げにより稲荷神として祀ったところ、疫病が収まったとされている。
年表
西暦/時代 | 出来事 |
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平安時代 | 天台宗の僧「恵心僧都源信」が観世音と弁財天を安置する草庵を結ぶ。 |
1466年 | 疫病流行の際、稲穂を持った老人が草庵を訪れ、庵主の夢に源信が現れ、老人を稲荷大神として祀るよう告げる。神社が創建され、疫病が鎮まる。 |
江戸時代 | 太田道灌が土地を寄進し、「小網山稲荷院萬福寿寺」となる。 |
1873年 | 神仏分離令により「小網稲荷神社」となる。近代社格制度における「村社」に指定される。 |
1923年 | 関東大震災で社殿を焼失。 |
1929年 | 現在の社殿・神楽殿が内藤駒三郎宮大工一門によって再建される。 |
戦後 | 宗教法人化により「小網神社」に名称変更。 |
公開日:2024.08.22