舞鶴城(甲府城)
山梨県甲府市にあった日本の城。舞鶴城の雅号を持ち、国の史跡に指定されている。かつては20haほどの広大な城郭でした。現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。
概要
甲斐国では、戦国期から甲府が政治の中心地として栄え、武田氏による武田城下町が形成された。しかし、武田氏の没落後、徳川氏や豊臣系大名が甲府を支配し、甲府城を築いて新たな甲府城下町が整備された。甲府城は、豊臣政権時代には徳川家康を牽制する重要な拠点として機能し、江戸時代には将軍家に最も近い親藩の城として重視された。城内には天守台が存在していたが、天守が実際に建てられていたかは不明である。江戸時代には、幕府直轄領時代から甲府藩時代、享保年間に再び直轄領とされた甲府勤番時代に至るまで、統治の拠点として機能した。


歴史年表
西暦 | 出来事 |
---|---|
1582年 | 3月、織田・徳川連合軍の侵攻により武田氏が滅亡する |
1583年 | 家康は家臣の平岩親吉に命じて一条小山の縄張りを行い、甲府城の築城を企図する |
1584年 | 家康が豊臣政権に臣従し、甲府城の築城が本格化する |
1590年 | 小田原合戦により後北条氏が滅亡し、甲斐は豊臣大名に与えられる |
1603年 | 徳川義直(家康の九男)が城主となる |
1607年 | 義直が清洲へ転封甲府城番が敷かれる |
1616年 | 徳川忠長(秀忠の三男、駿府城主)の支城となる |
1632年 | 忠長死去城番制がしかれる |
1661年 | 徳川綱重(家光の三男)が城主となる |
1678年 | 徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる |
1704年 | 綱豊が将軍世嗣として江戸城に入り、徳川家宣と改名 |
1705年 | 柳沢吉保が城主となる初めて親藩以外の領地となる |
1724年 | 柳沢吉里(吉保嫡男)が大和郡山へ転封甲斐一国が幕府領となる甲府勤番の設置 |
1727年 | 甲府城大火 |
1734年 | 城内に盗賊が侵入し1400両の公金が盗難される甲府城御金蔵事件が発生する |
1866年 | 勤番制を廃止し、城代を設置 |
1868年 | 明治維新板垣退助らが無血入城 |
1873年 | 廃城 |
1876年 | 内城全体に勧業試験場設置 |
1877年 | 鍛冶曲輪跡に葡萄酒醸造所を設置 |
1897年 | 清水曲輪跡に中央線甲府停車場を設置 |
1900年 | 楽屋曲輪跡に県立甲府中学校を建設 |
1904年 | 甲府城跡を舞鶴公園として開放 |
1906年 | 城内にて1府9県連合共進会を開催、遊亀橋架橋 稲荷曲輪跡に機山館を新築 |
1922年 | 本丸に謝恩碑建設 |
1926年 | 内城石垣の一部(楽屋曲輪)を解体、跡地に県庁を新築 |
1953年 | 鍛冶曲輪跡に恩賜林記念館を新築 |
1968年 | 県指定史跡(史跡名称甲府城跡)となる |
1990年 | 舞鶴城公園整備事業に着手 |
2004年 | 稲荷櫓完成 |
2007年 | 甲府市歴史公園・山手御門完成 |
探索の感想
甲府駅を降りると、武田信玄像が睨みをきかせてこちらを見ています。さすが信玄公恐ろしいです。甲府駅から徒歩5分で舞鶴城址につきます。今は大きな公園になっています。園内で「甲府城案内仕隊」と赤い帽子を被った方が説明してくれます(申込必要)
見どころは稲荷櫓で、今の建物は絵図や史料をもとに2004年に建築されました。
公開日:2024.05.02