日本歴史改方

松坂城

四五百森(よいほのもり)の標高38mの独立した丘陵に築かれた平山城。1588年、秀吉から南伊勢約12万石を拝領し移封された蒲生氏郷が、わずか3年で完成させた。現存する建物はないが、豪壮な石垣が残り、当時の城の姿を今に伝えている。

出来事

江戸時代初期には松坂藩の居城だったが、廃藩後は紀州藩の城代が置かれた。城内の建築物は1877年の火災と1881年までの破却で失われ、現在は石垣のみが残り松阪公園として整備されている。

年表

西暦出来事
縄文時代縄文時代後期には人々が居住していたものとみられるただし城跡から多く出土するのは弥生土器である
ただし城跡から多く出土するのは弥生土器である
1584年近江国日野城6万石の蒲生氏郷が伊勢国12万3千石を与えられ飯高郡松ヶ島城に入城した
1588年氏郷は松ヶ島から飯高郡矢川庄の四五百森に新たに築城を開始し、年内に完成させた
1590年氏郷は小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て若松城に移った代わって服部一忠が入城した
1595年服部一忠が豊臣秀次事件に連座して自害し、古田重勝が3万4千石で入城した
1600年関ヶ原の戦いの軍功により古田重勝が徳川家康より2万石を加増されたが、この年に重勝が死去し、重勝の弟・重治が襲封した
1619年古田氏は石見国浜田城に転封となり、松坂城は紀州藩の藩領となり、城代が置かれた
1644年天守が台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残った
1794年二の丸に紀州藩陣屋が建てられた
1871年廃藩置県により廃城となった
1877年失火により二の丸御殿を焼亡した
1881年この頃までに他の建造物も概ね破却された現在は殿町御城番屋敷に米倉のみが現存している
1889年町村制施行時に地名が「松坂」から「松阪」に変更された
2006年日本100名城(48番)に選定された
2011年松坂城跡が「近世の政治・軍事を知る上で貴重」であるとして国の史跡に指定された

探索・感想

建物は残っていないものの豪快な石垣が残っている。松坂市を見下ろすことのできる大きなお城があったことは間違いない。本丸跡までは急な坂を登る。地元の人たちのふれあいの場と共に、散歩コースになっているようだ。

公開日:2024.06.10