日本歴史改方

律宗大本山 壬生寺

京都市中京区壬生梛ノ宮町にある律宗の大本山の寺院。本尊は地蔵菩薩。開山は園城寺(三井寺)の僧快賢。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺、心浄光院と号した。
京都では珍しい律宗(総本山は奈良・唐招提寺)寺院である。塔頭の中院(本尊・十一面観音)は洛陽三十三所観音霊場第28番札所。

壬生寺と新撰組

幕末の志士・新選組の駐屯地が京都・壬生にあり、壬生寺は、新選組隊士たちの訓練場として使われていた。壬生寺境内東方にある池の中の島は、壬生塚と呼ばれ、新選組局長・近藤 勇の胸像と遺髪塔、 新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎の墓、勘定方・河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓がある。

千体仏塔

平成元年(1988年)に建立。京都市内の地下鉄工事の際に出土したもの。ミャンマーのパゴダ様式の仏塔に、室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など1,000体の石仏を円錐形に安置したもの。

歴史

991年、快賢が母のために地蔵菩薩像を本尊として創建。1213年に平宗平が現在地に移し、1259年に火災後、宝幢三昧寺として復興され律宗の寺院となった。1300年に円覚上人が壬生大念仏狂言を始め、江戸時代後期には新選組の本拠地となる。1962年に火災で旧本尊を失ったが、1967年に唐招提寺から新たな地蔵菩薩立像を迎えて本堂が復興された。

年表

西暦出来事
991年僧快賢が地蔵菩薩像を本尊として五条坊門壬生に寺院を建立。
1005年堂供養が行われ、小三井寺と名付けられる。
1077年〜1080年白河天皇の行幸があり、地蔵院の寺号を賜る。
1213年平宗平により現在地に移転。
1257年2月:火災により全伽藍を焼失。
1259年平政平と円覚上人により復興、宝幢三昧寺と改名し、律宗の寺院となる。
1300年円覚上人が壬生大念仏狂言を始める。
1528年2月:本堂と南門以外が壊れるが復興される。
1788年1月:天明の大火で全山焼失。
1789年大念仏堂が建立され、壬生大念仏狂言が行われるようになる。
1811年本堂が東向きに再建される。
1863年頃新選組の本拠地となる。
明治時代廃仏毀釈により塔頭が衰微し、中之坊(現・中院)のみ残る。
1962年7月25日:放火により本堂、四天王像、金鼓とともに焼失。
1967年唐招提寺から移された地蔵菩薩立像を本尊とし、本堂が復興される。

公開日:2024.06.13