日本歴史改方

水戸城

江戸時代には徳川御三家の一つの水戸徳川家の居城で、水戸藩の政庁が置かれた。茨城県指定史跡、三の丸にある廃校・弘道館は国の特別史跡。

現在は、水戸城本丸後には高校をはじめ小学校、中学校が集まる文教地区になっている。

歴史

馬場時代

年号出来事
1190年 – 1198年馬場資幹により馬場城が築城される
1416年大掾満幹が上杉禅秀の乱で敗れ、江戸氏が馬場城を支配する
1427年江戸通房が大掾満幹の不在を利用して水戸城を占拠する
1510年江戸通雅・通泰の父子が主家と同格の地位を得る

佐竹時代

年号出来事
1510年江戸通雅・通泰の父子が主家と同格の地位を得る
1590年佐竹義重が豊臣秀吉の支援を得て馬場城を攻め、水戸城に改名する
1594年佐竹義重が馬場城を攻め、江戸重通を敗走させる

徳川時代

年号出来事
1600年佐竹義宣が関ヶ原の戦いで曖昧な態度をとり、水戸から追放される
1602年水戸には武田信吉が15万石で入城するが、翌年に没し、徳川頼宣が20万石で入城する
1609年徳川頼宣に駿府藩50万石が与えられ、十一男の徳川頼房が下妻城より25万石で入城 水戸徳川家の居城となる
1619年徳川頼房が初めて水戸に御国入りする
1625年寛永二年、水戸城の大改修が開始される
1638年寛永十五年頃、水戸城の大改修が完了 石垣化の計画は進められたが実現せず、水戸城は徳川御三家の城として唯一の土の城となった
1841年藩校の弘道館が9代藩主の斉昭によって開かれる 斉昭は翌年の1842年に偕楽園を城の西部に開園
1864年幕末、水戸藩の藩論が分かれ、改革派の天狗党と保守派の諸生党の対立が起こる
1868年戦闘により城内の多くの建物が焼失
1871年廃藩置県により水戸城は廃城となる
1872年東京鎮台の歩兵2個小隊が駐屯し、第4分営となる 放火事件により本丸隅櫓が焼失

近現代

年号出来事
1945年水戸空襲により三階櫓が焼失
1952年弘道館が国の特別史跡に指定される
1964年弘道館正庁、至善堂、正門および塀が国の重要文化財に指定される
1967年土塁と空堀が茨城県の史跡に指定される
1983年薬医門が茨城県の指定建造物となる
2006年日本100名城(14番)に選定される

公開日:2023.11.17