日本歴史改方

三峯神社

秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。111年日本武尊が東征の折に造営。この東征の時に案内したのが山犬(狼)であることから、狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。山伏の修行道場として栄え、現在も三峰講の信神となっている。

歴史

景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)の国造りを偲んで創建した。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。

年表

西暦出来事
1182年畠山重忠が願文を収め、霊験があったとされる。
1195年畠山重忠が土地を寄進し、守護不入の地とされ、東国武士の信仰を集める。
1352年新田義興・義宗が当山に身を潜めたことにより、足利氏により社領が奪われ衰退する。
1501年〜1504年修験者・月観道満が廃寺を知り、30数年にわたり勧説を続ける。
1533年月観道満が堂舍を再興し、山主・龍栄が京都の聖護院に窮状を訴え「大権現」を賜る。以後、関東総本山として隆盛する。
江戸時代狼を「お犬さま」として崇め、狼の護符を受ける御眷属信仰が流行する。三峯講が各地に組織される。
明治時代明治の神仏分離により寺院が廃され、「三峯神社」に改称される。1883年に県社に列する。明治中期には社務所に600人が泊まれる施設があった。
大正末期秩父宮が参拝したことをきっかけに全国的に信徒が増え、講社数が増大する。

公開日:2024.08.05