日本歴史改方

根津神社

東京都文京区根津にある神社。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社。旧社格は府社で、元准勅祭社(東京十社)。つつじの名所として有名。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。

重要文化財

  • 本殿・幣殿・拝殿(1棟)
  • 唐門
  • 西門
  • 透塀(3棟)(唐門東方、唐門西門間、西門北方)
  • 楼門
  • 銅灯籠2基(附指定)

歴史

『根津志』によると、1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされ、文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られたと伝わる。

文学

根津神社の近くには、森鷗外が文京区に移住してから最初に住み、後に夏目漱石が住んだこともある千朶山房(せんださんぼう)や、鷗外が後半生に暮らした観潮楼(かんちょうろう)が近かったこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡もある。森鷗外『青年』や夏目漱石『道草』、高村光雲『幕末維新懐古談』など、文豪の作品にも根津神社が登場する。

年表

時代出来事
江戸時代前期天台宗の医王山正運寺昌泉院が神宮寺(別当)として根津大権現の社を管理。根津権現は山王神道の権現社となり、主祭神の素盞烏尊を十一面観音菩薩とともに祀る。
万治年間太田氏の屋敷地となったため、根津神社が東方に移転。
「根津権現は不寝(ねず)権現であり、諸神の寝ずの番衆であろう」と『江戸名所記』に記される。
宝永3年徳川綱吉の治下にあって、根津神社が現在の姿を整える。
甲府藩主であった綱豊が根津権現を産土神とし、社殿を造営。
正徳4年例祭である江戸城内への神輿入れが許可され、天下祭の一つとして根津権現が挙げられる。
明治維新神仏分離・廃仏毀釈により、山王神道に基づく根津権現の祭祀が廃止される。
国家神道に基づき、本殿はスサノオ、大山咋神、八幡神、相殿は大国主と菅原道真を祀る。
明治21年帝国大学の移転に伴い、江戸時代から存在していた根津遊廓が廃され、江東区の洲崎遊廓へと移転。

感想

重要文化財に指定されている歴史ある建造物、も圧巻ながら、近年パワースポットとしてと言われている千本鳥居も見応えがある。北から南に通り抜けると邪気が払われるといわれており、都内とは思えないような厳かな空気を感じることができる。

公開日:2024.05.30