佐倉城
佐倉市城内町に位置する日本の城で、江戸時代には佐倉藩の藩庁があった。現在は市指定の史跡であり、日本城郭協会によって選定された日本100名城の一つ(第20番)で、現在城跡は佐倉城址公園として整備されている。
歴史・出来事
戦国時代に本佐倉城主の千葉親胤が、大叔父の鹿島幹胤に築城を命じたが、親胤が暗殺されたため工事は中断、その後も千葉邦胤の代に工事が試みられたが、邦胤も暗殺されてしまう。
工事が頓挫した後、築城予定地は鹿島幹胤に因んで「鹿島台」と呼ばれるようになった。鹿島氏は神島氏とも称され、千葉親胤の兄で邦胤の実父である千葉胤富の妻は神島氏の出身で、彼女は邦胤の生母ではなかったが、千葉家中に大きな影響力を持っていた。彼女の支持を得たことで、北条氏政は息子の直重を千葉氏に送り込む計画を実現させた。
年表
西暦 | 出来事 |
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天文年間 | 千葉親胤の命により、鹿島親幹が築城。千葉邦胤が改修を試みるも、自身の暗殺により中断 |
1610年 | 土井利勝が普請を開始 |
1813年 | 盗賊の失火により天守が焼失 |
1873年 | 第一軍管東京鎮台佐倉分管が置かれ、存城処分とされ、旧城の建物を払い下げ、撤去 |
1884年 | 宇都宮から歩兵第2連隊本部が転営してくる |
1908年 | 歩兵第2連隊本部が水戸へ転営 |
1909年 | 歩兵第57連隊が習志野から転営してくる |
1962年 | 市の史跡に指定 |
1981年 | 椎木曲輪跡に国立歴史民俗博物館が開館 |
2006年 | 日本100名城(20番)に選定 |
2015年 | 佐倉城址公園センターが城郭風建物に改装され、内部の展示が変更される |
探索の感想
遺構は馬出し・空堀・土塁等がありますが現在は大きな公園になっており、佐倉市民の憩いの場所となっております。明治時代初年頃に撮影された写真が比較的多く残っており、建物の跡には写真を載せた説明の看板が設置されています。
公開日:2024.04.30