日本歴史改方

仙台城(青葉城)

大藩にふさわしい大きい城。伊達政宗公が築城してから270年の間、伊達氏の居城として仙台藩の政庁となり強力な藩を作り上げた。
数多くの地震などで改修工事を行い、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を迎えるも、戦火を見ることなく城としての役割を全うし、明治維新を迎えた。

出来事

関ヶ原の戦い後、徳川家康の許しを得て地名を仙台都市築城を行った。
政宗が気づいた仙台城は山城で天守台はあるが天守は持たなかった。天守が無いなど時代の流行とは逆に作られ、政宗の性格が滲み出ている。
スペインの探検家 セバスティアン・ビスカイノとこの仙台城で会見し、「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめた。
しかし、本丸は山上にあるため、街への往来が不便であったため、1638年伊達忠宗は二の丸を造営しそこを居所とした。
江戸時代には火災や地震により、建物の一部を失いその都度再建された。
戊辰戦争でも仙台が戦場にならなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。

年表

西暦出来事
1601年伊達政宗が仙台城を完成させる
1638年伊達忠宗により、二の丸を造営
1646年地震が発生し、石垣や櫓に被害が発生
1668年地震が発生し、石垣に被害が発生
1804年二の丸が火災で焼失
1809年二の丸再建
1873年「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」において、仙台城が「存城」とされる
1869年版籍奉還により、仙台城に勤政庁が設置される
1871年東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯。本丸が破壊され、石材と木材が兵舎建設に流用。仙台鎮台と改称
1876年明治天皇が仙台城に行幸
1882年二の丸で火災が発生し、大手門、脇櫓、虎ノ門を除くほとんどの建物が焼失
1904年本丸の跡地に招魂社が建立され、後の宮城県護国神社となる
1920年大手門から本丸への途中にある中門(寅門)が取り壊され、現在の知事公館の正門に移築される
1925年仙台市が青葉山自然公園を開園
1931年大手門と脇櫓(隅櫓)が国宝指定される
1935年伊達政宗没後300年を記念して、「伊達政宗騎馬像」が本丸に建立される
1943年政宗騎馬像が金属類回収令により撤去されるが、後に発見され青葉神社へ奉納される
1945年アメリカ軍による仙台空襲、焼夷弾の投下により大手門、脇櫓、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した
1961年仙台市博物館が三の丸に開館し、政宗騎馬像が青葉神社から寄贈され、以後、胸像として展示される
1950年宮城神社が国有地払い下げを受け、本丸一帯を所有する。仙台市は一部を管理し、一部を買い上げる
戦争中に撤去された政宗像がコンクリート平服立像として再建される
1954年仙台市博物館が三の丸跡地に開館し、三の丸の堀は長沼、五色沼として残る
1960年伊達政宗騎馬像が再建される。先に建立したコンクリート製の立ち像は岩出山城に移設される
1978年宮城県沖地震で石垣や土塀に被害が発生
2003年仙台城が国の史跡に指定される
2005年青葉城本丸会館が営業時間を延長し、夜間観光に注力する
2006年日本100名城に選定される
2008年仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに合わせて、夜間の観光施策が強化される
2011年東日本大震災で石垣や脇櫓の一部が崩壊する
2022年福島県沖地震により石垣の崩落や政宗像の損壊などが発生

探索の感想

今や仙台の観光名所となっている仙台城ではあるが、敷地の大きさから伊達氏の権威を感じることができる。伊達政宗公の銅像でさえ睨んでいるようで威圧感を感じる。
歴史を辿ると地震による被害が多いと感じた。

公開日:2024.04.09