日本歴史改方

荒陵山 四天王寺

和宗の総本山の寺院。本尊は救世観音(ぐぜかんのん)「日本書紀」によれば推古天皇元年に造立が開始されたという。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。

境内には四天王寺式伽藍や聖霊院(太子殿)、宝物館があり、500点あまりの国宝・重要文化財を所蔵しています。

平安時代から鎌倉時代にかけて、天台宗の最澄、真言宗の空海、融通念仏の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、時宗の一遍らが四天王寺に参籠した。

和宗

四天王寺の宗派天台宗に属したこともあったが、現在は仏教の祖和宗として独立している。
和宗は聖徳太子の「十七条憲法」の第一条「和をもって貴しとなす」からその名が付けられました。

和をもって貴しとなし 忤うことなきを宗となす

「和を大切にするのが尊いことで、逆らうこと、争いを起こさないことを根本としましょう」

年表

西暦出来事
593年聖徳太子が建立に取り掛かる
836年初代五重塔が落雷により破損
960年火災により四天王寺全山が焼失
1007年『四天王寺縁起』が発見されるが、実際には後世の仮託とされる
1361年金堂が地震で倒壊し、後に復興。応仁の乱の際には大内政弘によって放火される
1576年織田軍による大坂本願寺攻めにおいて、天王寺砦が織田軍によって放火され全焼、寺領を全て没収される
1584年金堂が再建される
1594年豊臣秀吉による復興が行われ、金堂が重層に改築される
大和国額安寺から五重塔が移築される
1600年豊臣秀頼によって五重塔が移築される
1601年10月:秀頼によって千石が寄進される
1614年大坂冬の陣に巻き込まれ、豊臣方によって放火される
1618年徳川秀忠により再建事業が本格化
1623年再建が完成
1801年落雷により東半分が焼失
1813年町人淡路屋太郎兵衛らにより6代目五重塔や伽藍が再建
1863年聖霊院が焼失
1871年主要伽藍以外の境内地が国有化される
1873年公園化され、桜が植えられる。聖霊院が再建される
1901年公園地から解除され普通の国有地に変更
1934年室戸台風で中門が倒壊し、五重塔と金堂が被害を受ける
1940年7代目五重塔が再建される
1945年第1回大阪大空襲で五重塔が焼失
1946年和宗を創設し、四天王寺に国有地が譲与される
1950年ジェーン台風で金堂が崩壊し、参詣者1人が死亡
1957年中心伽藍の再建が始まり、1963年に完成
1972年祈祷所「萬燈院」が火災に遭う
2020年新型コロナウイルスの感染拡大防止のため閉鎖される

探索の感想

過去に多くの災害に見舞われ、消失しては再建を繰り返し1400年の年月を歩んできた四天王寺。今は大きな敷地(甲子園の3倍)日本仏教の祖として君臨している。数多くの札所になっており、御朱印の数も多い。「日本書紀」に書かれている寺院が存在すること事態奇跡なのかと思わされます。

公開日:2024.04.11