日本歴史改方

洲崎神社

千葉県館山市洲崎にある神社、江戸時代に安房国一宮とされました。御手洗山中腹に鎮座する。

歴史

『古語拾遺』によれば、天富命が神武天皇の命を受け、阿波国へ上陸し、そこを開拓。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。
洲崎神社の社伝によれば、神武天皇治世時に天富命が美多良洲山に神体を祀り、役小角(えんのおづぬ)が大蛇を退治した伝説や、役小角に関連した修験道の伝承があります。これらから、洲崎神社の始まりであるとされる。

境内

本殿は三間社流造で銅板葺き。社伝では延宝年間に建てられたとされるが、江戸時代中期以降に大規模な修理が行われた。館山市の指定有形文化財に指定されている。随身門は宝永年間に建てられ、裏手から社殿へ上がる階段は150段続いている。

年表

西暦 出来事
717年大地変があり、境内の鐘ヶ池が埋まり、地底の鐘を守っていた大蛇が災いをもたらした。
807年神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、開拓を始める。
927年「后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格された。
1081年神階が最高位の正一位に達した。
1180年源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路で安房国へ逃れた。
1182年頼朝の妻政子の安産祈願のため、安房国の豪族である安西景益が奉幣使として洲崎神社へ派遣されたことが記されている。
1281年元寇の役の功により勲二等に叙せられている。
1673年〜1681年社伝により大規模な修理をしたことが見られる。
1812年房総沿岸を視察した筆頭老中松平定信が「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納した。
1873年近代社格制度で県社に列格した。

探索の感想

150段もの階段を登り、館山の海を一望できる。晴天の日ならば最高の眺めである。
東京湾の入り口を守っている一宮である。周りは観光地化されているわけではないので、賑わっている感じはしないが、その静かな雰囲気がむしろ訪れる人々に落ち着きを与えています。境内には歴史を感じさせる建造物が点在し、神聖な雰囲気が漂っています。

公開日:2024.03.02