日本歴史改方

多賀城

奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であったとされる。奈良平城京の律令政府が蝦夷討伐への軍事拠点としても機能した。
日本の古代城址。国の特別史跡に指定されている。

歴史・出来事

創建は724年、大野東人によって築城された。この城は8世紀初めから11世紀半ばまで存続し、その間に4度の造営が行われた。869年には大地震(貞観地震)と津波による被害を受け、11世紀半ばには廃絶された。多賀城は『日本三代実録』に記載されており、最後の記録は貞観津波の際の「忽至城下」である。

年表

西暦出来事
724年大野東人によって多賀城が創建される(多賀城碑)
737年『続日本紀』に「多賀柵」として初出
762年藤原朝狩によって大規模に修造される(多賀城碑)
780年伊治呰麻呂の乱で焼失し、再建される
802年坂上田村麻呂によって蝦夷討伐の兵站的機能を持つ胆沢城へ移される
869年貞観地震により多賀城と城下町が被災し、多賀国府として復興
11世紀前半国府政庁は政庁隣接地に平場を設け、宴会儀礼の場を整備
11世紀後半軍事的拠点として機能し、陸奥国府が複数回焼失
1181年陸奥国府の勢力が平泉の藤原秀郷と決別
1299年大檀那介平景綱が奥州末松山八幡宮に鐘を奉納
1333年北畠顕家らが多賀城に陸奥将軍府を設立
1961年多賀城跡と周辺の調査が始まる
1966年遺跡が国の特別史跡に指定される
2016年特別史跡指定から50年を迎える
2022年多賀城跡城前官衙など10棟が復元整備完了
2023年南門の本体の木造復元が完了

探索の感想

古代日本の記録、蝦夷討伐などその歴史を知る多賀城。多賀城址に立つと、その風景を感じることができます。陸奥国府を置かれたなど、文献の記録があることだけで奇跡を感じ、今後の調査でどこまでわかってくるのか注目をしています。

公開日:2024.04.17