日本歴史改方

津城

織田信包が1580年に津城を創築。以後津は城下町として発展していった。現在はお城公園として整備されており、お堀端や庭園を眺めながらの静かな散策を楽しめる。津のランドマークともいえる津城。
現在の津市は、平安時代から伊勢国の政治経済の中心地だった安濃津と呼ばれていた。鎌倉時代には長野氏が支配していた。

出来事

津城の起源は戦国時代1558年〜1569年といわれ、長野氏の一族細野藤光が安濃・岩田の両河川の三角州に小規模な安濃津城を築いたことに始まる。
1568年織田信長の伊勢侵攻により津田一案が入場し、翌年に織田信包が入城した。信包は城郭を拡充し、本丸・二の丸・三の丸を整備し、天正5年(1577年)に5重天守と小天守を完成させた。
豊臣家の時代になると、1594年に信包は丹波国柏原に移され、1595年に富田一白が入城した。一白の子、信高は関ヶ原の戦いで東軍につき、西軍方の毛利秀元・長宗我部盛親軍に城を攻撃されたが、奮戦し江戸幕府から2万石の加増を受けた。
1608年信高は伊予宇和島藩に移封され、藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石で入城した。高虎は城の大改修を行い、輪郭式の城郭に変え、城下町を整備した。この後、津城は明治維新まで藤堂氏の居城となった。

年表

西暦出来事
平安時代安濃津が伊勢国政治経済の中心地となる
鎌倉時代藤原南家の流れの工藤氏を祖とする長野氏が津市を支配する
1558年〜1569年細野藤光が安濃津城を構える
1568年織田信長の伊勢侵攻により織田掃部頭(津田一安)が安濃津城に入城
1569年織田信包が安濃津城に入城し、城郭を拡充する
1577年織田信包が5重天守と小天守を落成する
1594年織田信包が丹波国柏原へ移され、富田一白が安濃津城に入城する
1595年富田一白が5万石(6万石とも)を与えられ安濃津城に入城する
1600年関ヶ原の戦いで西軍に攻撃され、安濃津城の建造物の大半が焼失する(安濃津城の戦い)
1608年富田信高が伊予宇和島藩に移封され、藤堂高虎が安濃津城に入城する
1615年藤堂氏が大坂の陣の功により5万石の加増を受ける
1617年藤堂氏がさらに5万石の加増を受ける
1662年寛永年間に再建された天守が火災で焼失し、再建されない
1871年廃藩置県により津城が廃城となる
1958年丑寅櫓跡にコンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)が復元される
2017年津城が続日本100名城(152番)に選定される

探索の感想

津市の中心にある津城。築城で有名な藤堂高虎公のお城。遺構は石垣と櫓が残っていたが、今はお城公園となっており、サラリーマンの憩いの場になっている。あまり綺麗に整備されている様子はなく、残念な部分もあったが、缶コーヒーを飲んでゆっくりするのも良いと思った。

公開日:2024.06.06