日本歴史改方

高岡山 瑞龍寺

曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺である。利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた義弟利常は深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。

文化財

仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、1997年(平成9年)に国宝に指定されている。また2015年(平成27年)4月24日、「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡-人、技、心-」の構成文化財として日本遺産にも認定されている。

歴史

加賀藩初代藩主前田利長が、織田信長・信忠らの追善のため、文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。利長は慶長10年(1605年)、44歳で家督を異母弟の利常に譲り、自らは隠居した。

年表

西暦出来事
1614年前田利長が没し、法円寺を瑞龍院と改める(後に瑞龍寺に改称)
1645年瑞龍寺の造営開始
1654年前田利常が伽藍の整備に着手
1663年頃伽藍整備が完成
1746年火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失
1820年山門が再建
1909年仏殿が旧国宝(現・重要文化財)に指定
1928年総門、法堂が旧国宝(現・重要文化財)に指定
1935年〜1938年仏殿、総門、法堂の解体工事
1982年山門、烏蒭沙摩明王堂、高廊下、回廊が国の重要文化財に指定
1985年〜1996年大規模な修理(昭和・平成の大修理)
1997年国宝に指定(新規国宝建造物指定として30年ぶり、富山県初の国宝)

公開日:2024.07.01