四
「南片の舟は見えねえな」
遠目が利く太一にも清吉丸をとらえることはできない。
南片の押送舟との差は、いっとき(二時間)ほどついている。
正次は妹の赤子が無事に生まれ、気力が抜けてしまったのか、櫓を漕ぐ手が遅れがちだった。
「正次さん、もっと気を入れて、漕げよ!」
太一は思わず隣にいる正次の足を蹴ってしまう。
「なに、すんだよ!」
正次は足を蹴られ、かっとなる。
「おれたちに、迷惑をかけておいて」
「すまなかったと思ってるよ、さっきも、あやまったじゃねえか」
「だったら、早く江戸に着くように漕げ!」
「そんなこと、わかってらぁ!」
正次が開き直る。
「そのいいぐさはねえだろう」
「恩着せがましいんだよ」
「何だと?」
太一は櫓を引き上げ、飛びかかろうとする。
「やめろ!争ってる場合か!」
源助が二人を一喝した。
二人はおとなしくなり、また櫓を漕ぎはじめる。
太一が率先して正次に協力したのは、南片の押送舟に早く追いつけば、上乗せ金がもらえるという期待があったからだ。子が生まれ、何かと出費がかさみ、金が欲しかった。だが、南片との差が歴然とし、勝つことは無理だと思うと、正次の妹を助けるために、自分たちが割を食ったような気がし、正次を責めてしまった。
他の四人の水手たちも同じだった。船頭の源助の決めたことに従ったことで、何か損をしたような気持になったのか、皆、一様に無口だった。
正次も皆に迷惑をかけたことが負担となり、気持の持って行き場がないところに、太一から足を蹴られ、余計なことを口走ってしまったのだ。
源助はそうした気配を察知し、皆に言葉をかけた。
「最後まで気を抜くんじゃねえぞ、あきらめるのはまだ早い!」
速さでは勝てそうにないが、活鯛三十枚は無事なのだ。他に手立てはないが、この命を守り抜くことだ。鯛は生きていてこそ、活鯛なのだ。そう思うと意欲がわいてくる。
「生簀の海水をまた入れ替えよう」
その都度、押送舟を止めて休ませてやるせいか、活鯛は新しい海水が入ると、息を吸い込むように飛び跳ねる。慈しんでやれば、報いてくれるものだ。赤子の誕生に関わり、源助は命の尊さをより身近に感じていた。
普通の魚は数年の寿命だが、真鯛の寿命は四十年ともいわれる。古来から目出度い魚の代名詞にされ、祝い事には欠かせない魚だった。大奥ではどのように供されるのだろう。鯛の塩焼きとして膳に上るのだろうか。源助は、姫様たちが集う賑やかな雛祭を思い浮かべていた。
上総の山並みが夕陽に染まり、鮮やかに稜線を映し出している。
―風が出てきたようだ。
木更津船は無事に戻っただろうか。春に江戸の内海を吹き渡る風は、富士山や丹沢山地で湿気を奪われ乾燥している。
江戸まであと一息だ。源助は弁天丸の帆を揚げた。手のあいた漕手たちは生簀に新鮮な海水を加えながら、活鯛の様子を確かめ、慎重に舟を進める。舷側に開いた生簀の穴は小さいので、充分な海水の出入りには自ずと無理があった。
その頃、南片の平吉たちの清吉丸は品川沖にいた。
大川へ入る前に海水を入れ替えようと、平吉たちが生簀を開けると、何匹かの真鯛が腹を上にして浮いている。帆走と櫓走の押し走りで飛ばし過ぎて、生簀の海水を替えるのが遅れてしまったのだ。
「四枚、上がっちまったか!」
平吉はあまり気に留めていない。
「まだ、二十六枚あるから、でえじょうだ」
四匹をすくいあげて桶に移し、
「早く届ける方が大事だ、間に合わなきゃ、おれたち、南片の水手の名折れだ!」
平吉はそう言って、水手たちをせき立てた。
木更津浦から活鯛が届く日だった。
和田屋正十郎は朝からそわそわし、自分の目で活鯛を見るまでは、安心することができない。活鯛は予備を含め、六十枚注文している。実際に入り用な数は五十枚だ。その五十枚を切るようなことがあると、大変なことになる。お叱りで済めばよいが、身代取り上げという重い過料を課せられることもある。
春には祝い事が多く、活鯛御用が頻繁にある。
将軍家斉は子沢山で、息女だけでも十数人いた。雛祭はいつも盛大に行われ、その都度、和田屋は活鯛の御用を仰せ付かった。だが、不漁のときもあり、真鯛の確保には毎年、四苦八苦させられる。和田屋正十郎が気鬱に悩まされる季節でもあった。
活鯛は雛祭前日に、江戸橋広小路内の肴役所に納めなければならない。
賄頭の木村伴次郎は、普段は城中に詰めているが、活鯛御用のときは自ら肴役所に出向き、その検品から納入方法までを細かく差配する。納入日が近づくと、何度も使いを寄こし、大丈夫であろうなと念を押す。その気疲れと儲けの少なさも悩みの種だった。活鯛御用は名誉なことではあるが、負担ばかりが目立ち、あまり有り難いものではなかった。
活鯛御用の木更津の押送舟が着くまでには間があるが、正十郎はじっとしてはいられなかった。夕刻、本船町の店を出ると日本橋川沿いに江戸橋へ向かう。
この川沿いの一帯が魚河岸だった。
朝は活気に溢れ、人の行き交いが難しいほどの混雑ぶりだ。店先の板舟に鮮魚が並ぶと、江戸中から魚屋が集まってくる。天秤棒を担いだ棒手振たちだ。河岸をまんべなく廻り、盤台を魚でいっぱいにすると、棒手振たちは一斉に町へと散っていく。
いまはそうした朝の賑わいはなく、軒先はよしずで囲われている。
魚河岸の通りを抜け、正十郎は江戸橋を渡った。
肴役所は江戸橋広小路の中ほどにある。
建物内に生簀があり、買い上げた魚介類はここに一時的に保存される。また不漁のときもあるので、代わりの食材が納められるように、蒲鉾台や焼き台なども整っている。
肴役所に賄頭の姿はなく、正十郎はいつも詰めている同心に、明朝、大奥に活鯛を届ける牛車の手配を頼んだ。
牛置場は肴役所の隣にあり、いつでも運び出すことができる。牛置場の先にある空き地は、かって将軍家の活鯛御用達として名を成した、大和屋助五郎の拝領屋敷跡だ。大和屋は三代に渡って活鯛御用を勤めたが、幕府への納魚が負担となり、廃業に追い込まれた。いまは活鯛屋敷という名前だけを留めている。活鯛屋敷跡を見ると、正十郎は同じ活鯛御用をつとめる者として感慨深いものがある。自分もいつまでこの仕事を続けることができるのかと不安にかられるのだ。
幕府は納魚制度を廃止すると、寛政四年(一七九二)に肴役所を設け、幕府が消費する魚介類は、いくつかの問屋を通して調達するようになった。
日本橋川を小舟が水馬のように、すいすいと下っていく。
夕陽が西の空に沈みはじめた。
―まだ、来ないのか!
正十郎は船番所の番士のように、日本橋川に入ってくる船を江戸橋の上から見張っている。
川を行き交う小舟の数も少なくなり、時折、客を乗せた猪牙舟が下っていく。
空が緋色に染まり、やがてあたりが濃い紫色に彩られていく。
―夕暮れが迫っているのに。
木更津からの押送舟はまだ到着しない。間違いなく来るだろうか。膝を小刻みに揺らしていると、正十郎の胃がまた痛み出す。雛祭になると恒例のように起こる、持病のようなものだった。
―来た!
一隻の押送舟が日本橋川を上ってくる。
木更津浦の押送舟に間違いない。
和田屋正十郎は木更津河岸へと走った。