二、にぎり鮨の与兵衛
小平次は鮨箱を担うと、富沢町方面には向かわず、橘町沿いの堀を通塩町へと引き返す。コハダ鮨が十二個ほどなら、西両国広小路で売り切ってしまえるだろうと思ったからだ。
「鮨や〜、コハダのす〜ゥ!」
小平次の振り売りの声が響き渡る。
青物市が終わって、西両国広小路は昼過ぎから始まる見世物小屋の準備が進められていた。葦簀を張っている男に呼び止められ、小平次は残りのコハダ鮨を売り切って、本所元町の親方のところへ戻ることにした。
親方とは、与兵衛ずしの華屋与兵衛のことだった。その与兵衛ずしから握り鮨を仕入れ、小平次は自分で売り捌いていた。
鮨売り仲間の間では小平次は美声で知られている。その声のおかげで売り上げは、いつも仲間を凌いでいた。男前で男気もあるから女たちにはよくもてる。押しかけ女房のように、女に迫まられたこともあったが、病弱なお袋を抱えていることがわかると、女は逃げてしまった。三十近くになるが、まだ嫁が娶れず独り身だった。
両国橋の手前まで来たとき、前をよく似た男が足早に行くと思い、追いつくと、やはり同じ長屋に住む清吉だった。小平次が後ろから肩をポーンと叩くと、清吉は振り返り、
「おっ、小平次じゃねぇか!」
人懐っこい顔で応えた。
清吉はからくり人形師だった。噺家の林家正蔵師匠の小道具などを作っている。正蔵師匠は、鳴物や仕掛け人形を使った怪談噺を得意にしていた。
清吉は小平次より三つ年上だが、清吉もまた独り身だった。縁はあるのだが、獄門上のさらし首や血のしたたる女の生首など薄気味悪いものばかり作っていることがわかると、女たちはいつの間にか離れてしまう。それ以来、清吉は自分の仕事をからくり人形師といわず、細工師というようになった。
「今日の仕事は、もう上がりですかい?」
小平次は、清吉が大喰大会に出ることを知っていた。
「ああ、急いで帰ってきたんだ」
清吉は小平次の売れ残った鮨をよく買ってくれる。三、四人分は平気で平らげてしまう大食漢でもあった。
「清吉さん、勝ち目のほどは、どうです?」
「勝ちが狙いじゃねえよ」
「おや、そうなんですかい」
「与兵衛ずしの旦那に推されて出るんだが、実は、大喰大会で皆、どんな面して喰うのか、近くで見てみてえんだ」
人が浅ましく喰う様子をよく見ておけば、正蔵師匠の仕事にも役立つかもしれないと清吉は思った。
「昼飯は少しだけにして、腹をすかして来たほうがいいですよ」
小平次が別れ際に言うと、
「それまで保つかな」
清吉は腹の皮が引っつきそうだと、大袈裟な身振りをする。
両国橋を渡り終えたところで、東両国の本所横網町の長屋に一度戻るという清吉と別れ、小平次は本所元町の与兵衛ずしへと向かった。
与兵衛ずしは、両国橋を渡って回向院へ抜ける道にあった。
明暦大火の横死者が埋葬されている回向院は、常に参詣する人々やご開帳などで賑わっていた。華屋与兵衛はそうした人たちを当て込み、江戸前の握り鮨屋を開業した。いまでこそ店を構え、客を座敷に上げて食べさせているが、初めは横網町の裏長屋で握ったものを自分で振り売りしたり、屋台で売ったりしていた。
与兵衛は江戸日本橋の霊岸島に生まれ、父の藤兵衛は越前福井藩御出入りの八百屋だった。九歳のとき、浅草蔵前の札差業、坂倉清兵衛のもとへ奉公に出された。そこで修業した米の目利きが、江戸前の握り鮨を生み出すことに役立ったのだ。
鮨はもともと、塩漬けした魚の腹に飯を詰め、発酵させた『なれずし』だった。
だが、発酵に日数がかかるので『押しずし』が考えられた。
酢飯を型に詰め、酢で締めた魚介類や鶏卵焼などを載せ、これを押し固めるので手間がかかり、食べるまでには半日がかりだった。万事にせっかちな江戸っ子には、それが我慢ができず、まどろっこしく感じられた。
与兵衛は、飯を握ってみたらどうかと考えた。
いろいろと試みた末に、酢飯を握り、その上に酢締めにした魚の切身を載せ、コハダ鮨などをつくり出した。
また、魚の切身は醤油の煮きりに漬け込むと、臭みが和
小平次が与兵衛ずしの暖簾をくぐったとき、店内はまるで出陣前のような騒ぎだった。店の者たちが全員駆り出され、鮨は握っても握っても追いつかない。
「いいか、急
主人の与兵衛も自らコハダ鮨を握り、店の者たちに檄
小平次は、いつものように空
「おっ、戻ったか!」
与兵衛は小平次を見ると、鮨づくりは店の者たちに任せ、鮨の詰まった箱を九つほど持ってくる。
「戻って早々で悪いが、ひとっ走り、萬八楼まで頼むぜ」
「へい!」
「残りは、鮨売りから戻ってくるほかの連中に、運ばせるから」
小平次は与兵衛から渡された箱を重ね、紅木綿で縛ると肩にかつぐ。
「追っ付け、わしも行くからと、萬八楼の旦那には伝えてくれ、大会には大事な客人がお見えになるんだ」
「承知しゃした!」
小平次は店を出ると、いま来たばかりの道をまた戻り、両国橋を駆け渡っていく。