六、財政難の小藩
その頃、奥の座敷では江戸御留守居役家老の長野盛重が、吟味役大納戸を務める佐藤茂平と対峙していた。
「ご家老、江戸藩邸での借入金は九万三千両に達しています」
茂平は借入金を記載した帳面を片手に持っている。
「ええい、わかっておるわ」
言われるまでもなく、盛重は江戸在住の金主が九十八名に膨れ上がっていることに頭を痛めていた。これは江戸藩邸だけの金額であって、国元の借金は含まれていない。新庄藩の財政は逼迫し、長年の借金がかさみ、いまや、返済の繰り延べで利息が元金を上回っていたのである。
寛永二年(一六二五)初代藩主となった政盛は、政務と財政に長けた大名だった。
城下には商人町や職人町を設け、大規模な新田開発や鉱山開発を推進した。谷口銀山は藩財政を潤し、その繁栄ぶりは他国に轟くほどだった。
だが、慶安三年(一六五〇)二代目藩主となった正誠は、多くの学者や書家、文人、能楽者などを召し抱え、小藩としては身上不相応な文治政治を行った。
その結果、財政を支える銀山や銅山の開発に人手を取られ、田畑の手入れを怠り、年貢米の収納高は急速に減少した。放漫な政策は藩財政を悪化させ、借金を余儀なくされ、それを境に藩政は衰退の一途をたどっていった。
盛重が渋い顔をしていると、茂平は追い打ちをかけるようにいった。
「その九万三千両は、代米にして約三十万俵でございますよ」
「藩収入の三年から四年分か」
気の遠くなるような数字に、盛重は愕然とした。
藩の年貢米収納高は、元禄の頃に一度、十三万俵を越えたことはあったが、それ以降で十万俵を越えた年はわずかだった。
盛重が知る限りでは、十万俵を越えた年は一度もなかった。
藩の財政を潤してきた谷口銀山が尽き果て、永松銅山も枯渇していたからだ。
「藩士からの御借上米を、また増額するというのは本当でしょうか」
「もはや、それしかあるまい」
御借上米と称しているが、藩士に返済されることのない実質的な石高の削減であった。
半年ほど前、藩主正胤からの信頼厚い中老の駒杵主膳が、借上米を増率強化し、財政の立て直しをしようとした。ところが、藩士たちが反対を唱えたので、駒杵は反対派の主だった者を排除する許可を正胤に願い出た。
駒杵の手腕を高く評価していた正胤だったが、藩士たちの抵抗に合い、駒杵に隠居を命じてしまった。
その御借上米の増率が、またぞろ国元で取り沙汰されている。盛重は藩士たちも今度は抵抗することができないだろうと、駒杵に代わって中老となった鈴木志兵衛から知らせを受けていた。
「取るべき手はすべて打ってきた」
盛重はそう思っている。
国元では絹織物や雨合羽の着用を禁じ、贅沢な物品が城下に入らないように、商人にも条目を布達し、制限までしていた。
「肌着がなく、隣家から借用して間に合わせている者も、おるそうにございます」
茂平も国元の身内に頼まれ、道具類を売って肌着にする布地を工面していた。
「いまや、米だけでなく、毎日の総菜にも事欠くと、訴えてくる者もおる」
盛重の耳にも国元からの悲鳴は届いていた。
非番の日は魚釣りに行き、釣り上げた獲物を城下の魚屋に売りさばき、それを暮らしの足しにしていると訴えてくる者もいた。
「ところで、麻布狸穴の伊勢屋が、奉行所へ当藩を訴えたそうですが」
「奉行所が訴えを取り上げるかどうかは、まだ決まったわけではない」
盛重は一応、平静さを装っているが、内心は気掛かりで安閑としてはいられなかった。
江戸麻布狸穴の伊勢屋忠兵衛は、酒屋と両替商を兼ねた商人だった。江戸藩邸の勝手向きを請負ってきた御用商人でもあった。その伊勢屋から借金返済を迫る訴えが、奉行所に提出されていたのである。
「訴状は、二口だそうですね」
「ああ、訴状の一つは、伊勢屋忠兵衛が自分の店と四カ所の土地を担保に、町会所の積立金から千両借り受け、融通してくれたものであると訴えている」
「そして、いま一つは」
茂平が催促するように聞く。
「伊勢屋が、これまで当藩に用立てた分の証文は六十三通になる。その元利を合わせると一万九千二百七十四両余りで、その他にも米や酒、醤油代として、四百九十六両を融通してもらっている。その合計が一万九千七百七十両にもなるのだ」
「如何なされるおつもりです」
「いろいろと、手は尽くしている」
成り行きで盛重はそう答えたが、確たる自信があるわけではなかった。
「国元の百姓から取り立てる年貢米も、もうぎりぎりのところまできています」
「そんなことは、分かっておる」
「石高の削減は、一族郎党の生き死にかかわる事にございます」
「良い策でもあるというなら、伺おうじゃないか」
盛重は睨みつけるように茂平を見た。
「他に金策を頼めるようなところは」
「それがあれば、苦労はない」
盛重は弱々しく呟いた。
新庄藩の借金は、国元の富有の町人はもちろん、江戸藩邸出入りの町人、京都や大阪の商人、上野や芝の寺院や僧侶にまで及んだ。借りられるところからは、すべて借りまくっていた。盛重の近頃の仕事といえば、江戸の金主にひたすら頭を下げ、返済の延期と新規の借金を乞うことだった。
諸藩の江戸留守居役の間では、新しく求めた鍋釜に、新庄藩藩主『戸澤』と書けば、金気が抜けると陰で囁かれているほどだった。
「ところで、ご家老は大喰大会なるものに、お出でになったそうに御座いますな」
「それがいかがした」
「日頃から倹約を旨となさるご家老にしては、腑に落ちぬことだと思いまして」
「どう腑に落ちぬ?」
「申されることと、為されることが違うのではござらぬかと」
「そんなことはない!」
「大喰大会などという不埒な遊びに出ていたことを、何と言い訳なさるおつもりか」
「言い訳などせぬ」
「国元では満足に飯が喰えぬ人々がいるというのに」
「えぇ、黙りっしゃい!借金のためだ、何とか策を講じようとしているためだ」
「大喰大会に出ることが、何故に借金のためでござりますか」
「ええ、くどいぞ!仔細あってのことだ、人を待たせておるので行くぞ!」
盛重は茂平を残して、清吉が待つ座敷へと向かった。
「だいぶ、待たせてしまったな」
長野盛重はそう言いながら入ってきた。
清吉は慌てて居ずまいを正す。
「からくりものを作っているそうだな」
「芝居や寄席のちょっとした小道具類を作っております」
清吉がしゃちこばって答えた。
「仕掛けものを作っているんだな」
「へい、そういうことで」
清吉もさすがに、女の生首やろくろっ首を作っているとは言えなかった。
「その方は、ままごと屋と申す、仕掛けものを存じておるか」
「へぇ、御大尽が遊びに持って行くという台所箪笥のようなものでございましょう?」
「おお、知っておるか、大きさはどのくらいのものかな」
「五尺(一五〇センチ)ほどの大きさで、なかには小さな押入や、違い棚、引き出しなどの仕掛けを施してございます」
「ほう、大きいな、違い棚や引き出しなども」
「へぇ、そこに、吸物や刺身、口取りなどの料理の材料が入るようになっています」
「それはいい」
盛重が目を細めて笑った。
「春の桜見物や、秋の紅葉狩りに、それを持って行けば、ままごと気分で料理をしたり、味わったりすることができるという贅沢なものです」
親方の藤助を手伝って、清吉は一度作ったことがある。
「そのままごと屋を作ってほしいのだ」
「承知しやした」
与兵衛に言われた通りに、清吉は丁重に頭を下げた。
「頼んだぞ!」
清吉が頭も上げぬうちに、盛重は慌ただしく席を立つ。
「あの、期限は…」
盛重は振り向きもせずに、
「出来るだけ、早くにだ」
と座敷を後にした。
清吉はその背を見て、あっと声を上げそうになった。
大名屋敷へ初めて来た緊張のせいか、新庄藩の家紋に気づかなかったが、盛重の羽織の背紋は、コハダ鮨を無茶喰いしていた若侍と同じ九曜紋だったのだ。